第39回総会および帰国者歓迎会

平成17年5月21日(土) 11:30〜14:00チャイニーズレストラン 
福幸 岡山市丸の内2-7-7岡山ルネサンス2F
で上記の会を開きました。

今回は,5人の派遣者が帰国されました。その内,小坂先生のご都合が悪く,4名の方
が参加され全員で26名の会となりました。最初に赤松前会長から退任のあいさつが
ありました。現在は,武泰稔元会長の後,福武教育振興財団でご活躍されています。

神田進新会長からは,
「壮行会や歓迎会では,いつも自分の時のことを思い出す。サウジアラビアのジッタ
日本人学校に死ぬのを覚悟して赴任した。見慣れない文字日本と全く違う風景,
右側通行の車,大きな声,全てを受け入れようとがんばったが 帰ってみれば良
い思い出となった。大変だったのは帰国後の方で,3年間の空白期間に,日本は
どんどん変わっていた。忙しくて苦しいだろうが乗り越えてほしい。元気で全員帰国
されて安心するとともに,本会の活動や研究発表等,積極的にお願いしたい。」
と挨拶がありました。

総会では,各部からの報告,予算案などが検討されました。新会長の本会を活性化
させたいとの思いが熱く語られ,夏休みなどの部会でで具体案が出てくると思います。

細川博資先生は,ハンブルグ日本人学校に派遣されていました。
「一番の思い出は,一年目に中学校の理科の教師なのに小学校四年生
 のクラス担任になったことです。字が苦手なのに書写も教えなければ
 ならず大変でしたが,先輩の本会栗坂先生にできないことはできない
 であせらずいこうとアドバイスを受け気が楽になりました。二年目以降
 は中学に戻り,担任や中学部主任をさせていただきました。帰国後は
 神田会長がおっしゃったように,大変忙しく毎日日付が変わる頃まで仕
事をしていて十時頃帰宅すると家族に今日は早いねと言われてしまい
ます。これからも貴重な体験を生かしてがんばっていきたいです。」
 とお話されました。

鳥居恭治教頭は,ジョホール日本人学校に派遣されていました。
「 一番の思い出は,年に二回全く影がなくなる時があることで楽しくて
 児童に教えたのですが,日本では北に影が出来ることをもう一度教え
直さなければいけなかったことです。一年目は私のことを中華系と思
って話しかけられ,二年目以降は,日に焼け色が黒くなってマレー系
として話しかけられました。スマトラ沖大地震では,皆様にご心配おか
けしました。ちょうど地震のあった西海岸ではなく,シーズンオフの東
海岸に出かけていたため難をのがれることができました。現地では,
サーズや鳥インフルエンザや大津波でさえも,情報が入りにくく,もっ
ぱらNHK国際放送をたよっていました。ジョホールはシンガポールに
隣接しているため,月に一回程度,日本の書籍の入手や医療のた
め出かけることがありました。でも,生活用品や食料品は物価は同
じ物が半額以下であるジョホールで十分揃いました。無事三年間勤
めることができ,大変ありがとうございました。」
とお話されました。

満和久先生は,ヨハネスブルグ日本人学校に派遣されていました。
「 一番の思い出は,一年目に盗賊団の被害にあったことです。治安
 について全職員で考え児童生徒や保護者が安心して通う学校にな
るように団結してがんばりました。現地は標高1700mの高地にあり
気候は過ごしやすかったです。人口は約200万人で学校は児童生
徒40人ほどの小規模校でした。日本人は600人ぐらいでした。女性
教諭がいないこともあり,中学の家庭科を担当したり,免許を持って
いる中学の社会を教えたりできたのも良い経験となりました。大使館
や企業の方と七人ほどの岡山県人会が開けたのもうれしかったです。」
 とお話されました。

満先生の奥様とお子様も来てくださいました。
「 子供がまだお腹の中だったので,一年遅れて呼び寄せとなりました。
 病気が一番心配でしたが,大きな病気にかからず良かったです。
 現地では,以外に肉と同様に魚も食べられ,近くに魚屋さんもあっ
 てお刺身や鯵や鰯もいただけました。日本に帰っての第一印象は
日本人ばかりいるということで,現地ではたくさんの人種がいまし
た。この貴重な経験を,ぜひ多くの人に伝えていきたいです。」
とお話されました。

田中耕二先生は,ワルシャワ日本人学校に派遣されていました。
「 一番の思い出は,ポーランド語が大変難しかったことです。現地
の人とやりとりをしていて,ハイやイイエだけしか言えず,とんち
んかんな交渉をしていてとうとう怒りだし,お前は俺を馬鹿にして
いるのかと言われて,ハイと答えて冷や汗をかいたこともありま
した。小規模校なので,15/16年度は文部科学省から情報教
育の研究指定をしてもらって,何とかアピールしてきました。帰国
後もこの研究で得たことを積極的に生かして行きたいと思います。」
とお話されました。

小坂誠彦先生は,アムステルダム日本人学校に派遣されていました。
今回はご都合がつかずご欠席でした。